歌や演技にマルチな才能をお持ちの中川翔子さん!中川翔子さんのお父様もマルチな才能をお持ちで芸能界でご活躍されていた中川勝彦さんです!32歳という若さでご逝去された中川勝彦さんですが、とってもイケメンでカッコいい中川勝彦さんの素顔にせまってみましたので、どうぞ最後までご覧下さい!
中川翔子の父は中川勝彦ってどんな方?
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「しょこたん」でお馴染みの中川翔子さん。アニメや漫画、歌手や声優とマルチにご活躍されていますよね!
そんな中川翔子さんのお父様は中川勝彦さんといって、お父様もまたマルチにご活躍されていた経歴をお持ちでした。
中川勝彦さんは1962年生まれで、ご存命であれば現在(令和5年4月現在)61歳です。1994年に急性骨髄性白血病を患い、32歳の若さで他界されています。
ご実家は会社を経営されており、裕福な生活を送られていたのではないでしょうか。 高校は慶應義塾高等学校をご卒業し、慶應義塾大学に進学されています。
高校生の時に始めたバンド活動から、NHKの「ヤングミュージックフェスティバル」に出たことでデビューが決まりました。このことから、大学は中退されています。
中川勝彦さんはヴィジュアル系バンドの先駆者とも言える人物で、容姿も端麗であったので当時はとても人気がありました。
また、バンド活動のみならず、映画へのご出演やラジオのパーソナリティーも務めたりと多才な才能をお持ちで、マルチタレントととしてご活躍されていました。
当時、中川勝彦さんのファンは多かったため、自身が結婚したことも娘である中川翔子さんが生まれたことも世間には公表していませんでした。 こうして今、娘である中川翔子さんのご活躍を往年の中川勝彦さんのファンは微笑ましく見ていらっしゃるのでしょうね!
中川翔子の父中川勝彦はイケメン?
マルチタレントとしてご活躍中の中川翔子さん。目がくりっとしていて、いつ見てもとても可愛らしい印象ですよね!
そんな中川翔子さんのお父様である中川勝彦さんもまた容姿端麗で、イケメンでした。 また、容姿端麗でしたが、気取ったようなところがなく、真面目で会う人みんなに腰が低く誰からも好かれる方でした。
そして、中川勝彦さんの語りもファンにはとても人気で、個性豊かでひょうきんな人柄にたくさんの人気を博していたのでした。
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当時はマルチタレントとして芸能活動をされていた中川勝彦さんでしたが、熱狂的なファンがたくさんおりアイドルのような立ち位置でもあったため、付き合っていた女性との間に子供が出来、結婚していたことは公にすることはありませんでした。
こうして生まれてきたのが中川翔子さんなのですが、中川翔子さんが芸能活動されている中で自身の父は中川勝彦だと公言したことで、世の中に知られるきっかけとなったのです。
中川翔子さん自身も容姿端麗で、歌手活動や女優業などマルチにご活躍されていますね。
また、最近ではYouTubeチャンネルを開設し、中川翔子さんの大好きなアニメや漫画、自身の趣味について惜しみなく披露されています。
中川翔子さんの歌の才能も、トークの才能ももちろん容姿も、お父様である中川勝彦さんの才能を受け継がれている様子が目に見えますね。
中川翔子の父中川勝彦の病気は白血病
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しょこたんでお馴染みの中川翔子さんのお父様である中川勝彦さんは、1994年に急性骨髄性白血病で他界されています。中川勝彦さん32歳、中川翔子さん9歳の時です。
1992年に発症し、闘病生活に入るも骨髄移植をするしか治る見込みはなく、また、骨髄検査をして適合しなければ移植も困難という状態の中、親しい人には病気の事はほとんど知らせていませんでした。
周囲の知人や仕事仲間には「体調が悪い」という旨のみ伝えており、急な訃報にファンだけでなく、周囲の繋がりがある方達皆驚いたのでした。きっと驚かせまいと周囲への気遣いからだったのかもしれません。
2018年には、お父様の病気のことがきっかけでACジャパンの「日本骨髄バンク支援」のキャンペーンCMに中川翔子さんがご出演されています。
ご出演された時中川翔子さんは32歳を過ぎており、お父様が亡くなった年齢になっていたとのことで、感慨深いものがあったのではないでしょうか。
まだ当時9歳の中川翔子さんでしたが、お父様との思い出はたくさんお持ちでインタビューやテレビ出演の際に思い出を語ることも多くありました。 32歳という若さで他界したお父様ですが、お父様から受けた影響は多大なものだったのでしょうね。
中川翔子の父中川勝彦の墓前で盗難被害に?
中川翔子さんのお父様である中川勝彦さんが他界し、28年が過ぎました。 現在は中川翔子さんと中川翔子さんのお母様、そして中川勝彦さんのファンの方々によって、お墓はいつも綺麗に保たれているといいます。
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中川勝彦さんの墓前には、お供え物やファンの方々の思いがぎっしりと詰まったノートも一緒に供えられていました。
そんな折、墓前に供えられていたお線香や火をつけるチャッカマン等の道具類、お供え物やファンの方が思いを綴っているノートまでもが無くなってしまう事件が起こりました。
思いを綴っているノートには、娘である中川翔子さんの書き込みももちろん中川勝彦さんの写真もたくさんあり、数冊に及ぶ思い溢れるノートだったといいます。
おそらくファンの方が持ち去ったのではないかということで、「宝物です。罪には問いませんので早く戻りますように。」と中川翔子さんのお母様がTwitterで呼びかけました。
これには中川翔子さんも信じられないと訴えており、とても悲しいとおっしゃっていました。 墓前の大切なお供え物を持って行ってしまうとは、驚きと共にとてもショックだったでしょう。
その後の詳細情報は出ていませんが、おそらくまだ盗難に遭ったものは返却されていない様です。中川翔子さんら家族も、いつもお墓を一緒に綺麗に保ってきたファンの方もやりきれない思いでしょう。早く元の場所に返却されますように願うばかりですね。
中川翔子の父中川勝彦から受け継いだものとは?
たびたび中川翔子さんのYouTubeチャンネルでも披露されていますが、絵を描くことがとても上手な中川翔子さん。これもお父様である中川勝彦さんの影響であるといいます。
そんな中川翔子さんが思春期を迎える頃、お父様に対して心の中で反抗心をぶつけていたのだそうです。残されたお母様の悲しむ姿からお父様と同じ芸能界のお仕事はしないと心に決めていたのでした。
それなのに、絵を描くこと、歌を歌うことが大好きな中川翔子さんは、自身がやりたことをやるために結局芸能界に入ったのでした。やはり、同じことが大好きだったお父様の姿をどこか追いかけていたのでしょう。
若くして他界したお父様が出来なかった分も、中川翔子さん自身が道を切り開いて生きていこうとされているのでしょうね。
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芸能のお仕事も才能があってこそ生き残れる世界ですよね。 その才能をお父様である中川勝彦さんよりたくさん受け継いだ中川翔子さんだからこそ、お父様の分まで中川翔子さんがやり抜き、生きていくという気持ちが強いのかもしれません。
いずれはお父様から受け継いだDNAをまた次の世代に繋げるために、子どもも欲しいという発言もされていました。急に中川翔子さんのおめでたい話を聞くことがあるかもしれませんね。
ご両親から受け継いだ素晴らしい才能を今後もどんどんメディアで発揮していって欲しいですね!
中川翔子の父中川勝彦との思い出とは?
イケメンで歌手や俳優、ラジオパーソナリティーをもこなしていた中川勝彦さん。 娘である中川翔子さんとの思い出はメディアに映る姿とは少し印象が違い、中川翔子さんのことを大変可愛がっていらっしゃったことが分かるものばかりでした。
家で過ごされていた時は下駄を愛用し、中川翔子さんの授業参観等で中川勝彦さんが参観にいくと、場が騒然となっていたのでした。娘の学校行事に参加してくれるお父様、素敵ですね!
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また、中川翔子さんが5歳の時には水木しげる先生の「ゲゲゲの鬼太郎」を全巻プレゼントされ、「これを読まないとちゃんとした大人になれないぞ」と教え、古本屋へ一緒に行った際にはセーラームーンなど漫画本を購入してくれていたのだとか。
中川勝彦さん自身も漫画が好きで、また絵を描くことも好きだったので、その影響を中川翔子さんはしっかりと受けたのでしょう。
また、闘病生活中も筆をとり、絵本を描いていたこともあり、その当時の様子を中川翔子さんはお父様が必死に生きてきた証拠を残そうとしていたのだとおっしゃっていました。
まだ32歳と若い中川勝彦さんでしたので、やりたいことや、やり残したこと、たくさんのやりきれなさがあったことでしょうね。